新しくHP、ブログを立ち上げました

ひといちばい敏感な子(HSC)のママへ

和田 美根子

こんにちは。横浜市で、心理カウンセラーをしています、和田美根子です。

時代も新しく令和になった事ですし、オリジナルドメインを取得して、ホームページとブログを、アメブロから、こちらにお引越ししました。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

我が子もHSCです

私は我が子が小学生の時、不登校になった事から、家庭教育や心理学、コミュニケーション、セラピーやヒーリングなど、様々な事を学びました。

 

子どもの不登校の原因は、学校の先生が怖くて厳しかったから、と最初は思いました。でも、同じクラスの子たち全員が不登校になる訳ではありません。

では、私の育て方が過保護、過干渉だったからだ、と自分を責めました。でも、同じように子どもに過保護、過干渉にしていても、不登校にならない子もいます。

どうしてかなぁ、、と思っていた時、アメリカの心理学者、エレイン・N・アーロン博士の「ひといちばい敏感な子」という本を読んで、うちの子に当てはまる事ばかりだったので、「そうか!」と腑に落ちおました。アーロン博士のサイトでHSCのチェックが出来ますので、興味のある人はやってみてください。

 

うちの子は、赤ちゃんの時から、とにかく、すぐに大泣きして泣き止まないので、ずっと抱っこで大変でした。大きな音、暗いところ、虫、チクチクする服、人がたくさんいる所、初めての場所、どれも苦手で、どこかに出かけても泣き止まないので、すぐに帰ることになってしまったり、、匂いや味にもすごく敏感で、離乳食を作ってもほとんど食べなかったし、病院で出された薬も全然飲んでくれなくて、何事も好き嫌いが激しく、こだわりが強く、思い通りにいかないと癇癪を起こして、本当に毎日ヘトヘトでした。

内気で怖がりで、「もっと強くたくましくなって欲しい」と思いましたし、繊細で完璧主義なところも「もっと適当でいいから早くして欲しい」と、無意識に娘の気質を否定して、自分の理想の子ども像や、自分の価値観、大人の都合を押し付けていたなぁと反省しています。

 

私の失敗

でも、可愛い一人娘でしたから、私なりに良かれと思って、懸命に我が子に寄り添ってきたつもりでした。自信をつけて欲しいと何かと褒めたり、好きな食事ばかり作ったり、いろんな習い事をさせたり、宿題を手伝ったり、繊細な娘が失敗して傷つかないように、困らないように、何事も先回りして手出し口出しをしていました。

復学支援を受けて、指導の先生から家庭教育を学んで、私のそんな過保護・過干渉な子育てが、敏感な我が子には全て逆効果だったと気づかせていただきました。母子密着で母子分離不安になり、子どもの自立心が育てられていなかったのです。我が子に合った対応を学んだおかげで子どもは学校に通えるようになり、子どもの事を心配し過ぎないようにと教えていただきましたが、学校に行くようになっても、しばらくはどうしても心配で仕方がありませんでした。

 

私もひといちばい敏感な人(HSP)だった

どうしてこんなに心配になってしまうのか、自分の心配性を治したくて、とことん自分に向き合いました。そして、私が過保護、過干渉になってしまったのは、私自身が子どもの頃、親にかまってもらえなくて、寂しい思いをしていたからだ、私のインナーチャイルドが傷ついていたからだということが分かりました。インナーチャイルドを癒して、自分でもアートセラピーやインナーチャイルドセラピーを学びました。

そして、カウンセラーとして起業し、インナーチャイルドセラピーのセッションをするようになりました。多くのクライアントさんのセッションをしていく中で、子どもの頃のトラウマは人それぞれで、特にひどい虐待を受けた訳ではなく、愛情深く育てられた方がほとんどでした。でも、些細なことでも傷ついてしまう、つまりHSCだった人が多かったことに気づきました。

私自身も、母子家庭でしたが、母のことは大好きですし、尊敬していますし、感謝もしています。仕事で忙しくかまってもらえなかったとしても、それは私たち子どもを育てるために仕方のない事だと思って納得していました。でも、それは顕在意識のことだったのですよね。無意識では、「私が生まれたせいでお母さんに苦労をかけている」と思い込んでいたのです。母は女手一つで4人の子どもを育て上げたとても強い人なのですが、私は母の強がっている心の底にある、寂しさ、悲しさをいつも感じていました。

そう、思い起こせば、私もかつて、HSCだったのです。車の匂いがダメですぐに酔ってたし、甘口のカレーしか食べれなかったし、ジェットコースター乗れなかったし、人見知りだったし、内気で、外で遊ぶことよりも、家の中で絵を描いている方が好きでした。自分がどのように振る舞えば、先生や周りの大人が喜ぶか察知する子でした。

大人になっても、面接やプレゼンは苦手だったし、人混みが苦手だし、知らない人が集まるパーティーとかも苦手だし、ママ友の輪にも自分から入れませんでした。自分のスペースや、一人の時間が持てないと、とても苦痛に感じます。人と競争することも好きではありません。美しいものや芸術を愛しています。

これらはどれも、HSP=Highly Sensitive Personの特徴に当てはまります。アーロン博士のサイトでは、HSPのチェックも出来ます。

 

昭和〜平成〜令和へ

学校や会社、社会では、積極的で、外向的、社交的な人の方が良しとされる傾向がありますよね。競争社会で育った私たちは、内気で大人しくて、消極的な自分はダメだと無意識に否定してしまっているかもしれません。

でも、これからの時代は、物質的な豊かさを奪い合う競争社会ではなく、精神的な豊かさを分かち合う共存の社会になっていくと思っています。昭和、平成、令和という流れは、戦争を終結させて和を招き(昭和)、戦争の無い平和な世界を成し遂げ(平成)、自らの内なる声に従って一人一人が心の平和を取り戻していく、お互いの違いを認め、尊重し、調和していく(令和)、ということだと思うのです。

ひといちばい敏感な子、HSCは、親にそのことに気づかせてくれる存在ではないでしょうか。

昭和に子ども時代を過ごしたHSPの親は、忍耐、根性、努力の価値観の中で育ち、自分の敏感さを弱さと捉え、封印し、我慢して頑張って大人になってきたのだと思います。自分のことは自分が頑張れば何とかなってきたのだと思いますが、自分の子どもの事は、親が頑張ってもどうにもならなかったりします。「私は我慢してきたのに、なんで我慢できないの?」「私は頑張ってきたのに、何で頑張れないの?」と自分がしてきた我慢や努力を同じように押し付けてしまうと、自分も子どもも苦しくなってしまいます。

かと言って、子どもを弱くて親が守ってあげなくてはダメな子、として寄り添い過ぎたり、世話を焼き過ぎてしまうのも、その子の良いところや、持っている力を信頼できていない状態です。心配された子はますます自信を無くしてしまうでしょう。

 

HSCが親に教えてくれる事

自己理解=他者理解、自己受容=他者受容、です。お母さんが自分を理解できた分だけ、子どもを理解できます。お母さんが自分を受容できた分だけ、子どもを受容できます。

子育ては、自分育て。お母さんの感情に敏感なHSCは、お母さんが無意識に抑圧している事を見せてくれます。お母さんが痛みを我慢していたら、痛がるでしょう。お母さんが、怒りを我慢していたら、怒るでしょう。お母さんが悲しみを我慢していたら、泣くでしょう。お母さんが寂しさを我慢していたら、お母さんから離れないでしょう。

HSCは、お母さんにこんなメッセージを送ってくれている気がします。

「ママ、これまで頑張ってきた自分のこと、認めてあげて」

「ママ、我慢しないで自分が本当にやりたい事やって、楽しんで」

「ママ、もっと自分の事を大切にしてあげて」

「ママ、笑って。幸せになって」

お子さんを幸せにしてあげたい、と思うなら、まずお母さんが自分に向き合って、自分の心の声を聴き、傷ついたインナーチャイルドを癒し、ありのままの自分を認め、受け入れてあげる事なのです。

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敏感さは素晴らしい気質

HSCは真面目で、正義感や責任感が強く、思いやりがあり、優しい子が多いと思います。豊かな感受性や深い洞察力、観察力を持ち、想像力も豊かで、ユーモアのセンスもあります。研究者や作家、芸術家にとても向いている気質なのです。共感能力が高いので、対人支援のお仕事、カウンセラー、セラピスト、ヒーラーにも向いていると思います。

敏感さは病気でもなく、克服するものでもなく、ギフト、才能なのです。お子さんの良い面、そして、お母さん自身の良い面に目を向けて、認めてあげて欲しいのです。

ありのままのお子さんを理解し、認め、良いところを引き出し、伸ばしてあげるためには、お母さんが家族のカウンセラー、セラピスト、ヒーラーになってあげられたら、敏感な子が外の世界で傷ついたとしても、お家で癒されて、元気に社会に出ていけると思うのです。

そのための講座を、3種類ご用意しましたので、ぜひ一緒に学んでいきましょう。

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